2011年01月21日
バッグを作る世界
専門学校卒業後に入社したバッグの企画・製造・卸メーカー。
下の刃物が、型紙のボール紙を切る「包丁」です。
ここで過ごした5年間で
デザイナーはデザインを考える事が仕事で、
よいデザインのものがヒットするというようにイメージしていましたが、
実際にこの世界に入ってみて感じた事は、
ものを作って行くには、世間話からデザイン、仕事の話まで、人とのコミュニケーション能力がとても必要で、その会話の中から物が作り出されて行くということを身を以て学びました。
今では知らない人とでも、店員さんでも、道を歩いている人でも
公園で遊んでいる子どもでも、道に寝ている人とでも
誰とでも話をしてみたいと思う程、
じつは人とのコミュニケーションが大好きな私ですが、
新卒の頃の私は、初めて会う人と、いったいなにを話していいのやら・・・
話したいとも思わないし・・できればそんな場面からは逃げたい、
そんなでしたので、社会に出てそのことを知ったときには
「ま、まずい・・・学校は出たものの、親にこれまで2年間、仕送り、学校の費用を出してもらったものの、この私がこの道でやっていくことができるのか・・・」
そんな不安でいっぱいになりましたが、ここで辞めて実家に帰るわけにはいかない、時が経つのを見守ろう・・・そんな頼りない自分でした。
そこで配属された「企画室」は
デザイン画を描いたり素材を決めたりサイズを決めたりをする「デザイン部門」と
「デザイン部門」で作成された“サンプル指示書”を元に型紙を起こし、その形に生地や付属素材を裁断し、ミシンで縫製する「サンプル作成部門」とから構成されていた。
まず最初に驚いた事は
1.バッグはお店で売られている物もみんな手作りだということ。
ベルトコンベア状に機械で縫製されているものかと思っていたのでした。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
実際は、サンプルに限らず、売り物も全て「手作り」で、
下町の職人さん夫婦や、東北圏の自社工場で職人さんが
精魂込めてミシンで塗縫っているのでした。
(うそでしょ!? 世の中、もっと進んでいると思っていた!!!)
2.バッグの耐久性などは、精密にチェックする機械や方法が義務化されているのではなかったということ。
結構アバウトに、そこらへんにある雑誌やサンプルを詰め込んでみる
くらいでした。
私はてっきり目盛付きの何かで力を加えて行く精密な検査が
あるのかと・・・
(ええっ・・ダイジョウブナノカ!?こんなに適当なもの?)
3.ほぼ男性で成り立っている業界。
バッグの型紙を起こすいわゆる“パタンナー”は
この道ウン十年の60代のロマンスグレーのおじさま。
“包丁(ほうちょう)”と呼ばれるカッターのようなナイフのような包丁と
物差し、目打ち、ボール紙、ボールペン、
ほぼそれだけで様々な形のバッグの型紙を
みごとな手さばきで起こす。
そして、ミシンでサンプルを製作する人も
一人女性な以外は皆男性、何年もバッグを作り続けている
その道のプロの職人。
○業者さんの「まいど!」の挨拶。
大阪? とっても“商人的”な世界。
いろんな業者さんが、毎日自分の会社の商品をアピールに来社。
「まいど!」と言って、数分世間話(業界話し)をして帰って行く。
お互いライバル社のことは気になる様子。
とにかく、材料屋さんって、毎日顔を出すことが仕事なんだな〜。
そんな驚きの中、
業務用電動ミシンのダダダッ ダダダッという音を毎日
BGMにしながらの日々が始まった。
※以上は1985年頃のことについて記しています。
現在も環境はそう変わりないと思いますが、
ただ、若い男性、女性も多くなって来たように思います。
***************************************************
☆☆☆お仕事に限らず、お気軽にコメントを入れて下さいね。☆☆☆
主婦デザイナー ☆やまねこ☆
下の刃物が、型紙のボール紙を切る「包丁」です。
ここで過ごした5年間で
デザイナーはデザインを考える事が仕事で、
よいデザインのものがヒットするというようにイメージしていましたが、
実際にこの世界に入ってみて感じた事は、
ものを作って行くには、世間話からデザイン、仕事の話まで、人とのコミュニケーション能力がとても必要で、その会話の中から物が作り出されて行くということを身を以て学びました。
今では知らない人とでも、店員さんでも、道を歩いている人でも
公園で遊んでいる子どもでも、道に寝ている人とでも
誰とでも話をしてみたいと思う程、
じつは人とのコミュニケーションが大好きな私ですが、
新卒の頃の私は、初めて会う人と、いったいなにを話していいのやら・・・
話したいとも思わないし・・できればそんな場面からは逃げたい、
そんなでしたので、社会に出てそのことを知ったときには
「ま、まずい・・・学校は出たものの、親にこれまで2年間、仕送り、学校の費用を出してもらったものの、この私がこの道でやっていくことができるのか・・・」
そんな不安でいっぱいになりましたが、ここで辞めて実家に帰るわけにはいかない、時が経つのを見守ろう・・・そんな頼りない自分でした。
そこで配属された「企画室」は
デザイン画を描いたり素材を決めたりサイズを決めたりをする「デザイン部門」と
「デザイン部門」で作成された“サンプル指示書”を元に型紙を起こし、その形に生地や付属素材を裁断し、ミシンで縫製する「サンプル作成部門」とから構成されていた。
まず最初に驚いた事は
1.バッグはお店で売られている物もみんな手作りだということ。
ベルトコンベア状に機械で縫製されているものかと思っていたのでした。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
実際は、サンプルに限らず、売り物も全て「手作り」で、
下町の職人さん夫婦や、東北圏の自社工場で職人さんが
精魂込めてミシンで塗縫っているのでした。
(うそでしょ!? 世の中、もっと進んでいると思っていた!!!)
2.バッグの耐久性などは、精密にチェックする機械や方法が義務化されているのではなかったということ。
結構アバウトに、そこらへんにある雑誌やサンプルを詰め込んでみる
くらいでした。
私はてっきり目盛付きの何かで力を加えて行く精密な検査が
あるのかと・・・
(ええっ・・ダイジョウブナノカ!?こんなに適当なもの?)
3.ほぼ男性で成り立っている業界。
バッグの型紙を起こすいわゆる“パタンナー”は
この道ウン十年の60代のロマンスグレーのおじさま。
“包丁(ほうちょう)”と呼ばれるカッターのようなナイフのような包丁と
物差し、目打ち、ボール紙、ボールペン、
ほぼそれだけで様々な形のバッグの型紙を
みごとな手さばきで起こす。
そして、ミシンでサンプルを製作する人も
一人女性な以外は皆男性、何年もバッグを作り続けている
その道のプロの職人。
○業者さんの「まいど!」の挨拶。
大阪? とっても“商人的”な世界。
いろんな業者さんが、毎日自分の会社の商品をアピールに来社。
「まいど!」と言って、数分世間話(業界話し)をして帰って行く。
お互いライバル社のことは気になる様子。
とにかく、材料屋さんって、毎日顔を出すことが仕事なんだな〜。
そんな驚きの中、
業務用電動ミシンのダダダッ ダダダッという音を毎日
BGMにしながらの日々が始まった。
※以上は1985年頃のことについて記しています。
現在も環境はそう変わりないと思いますが、
ただ、若い男性、女性も多くなって来たように思います。
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☆☆☆お仕事に限らず、お気軽にコメントを入れて下さいね。☆☆☆
主婦デザイナー ☆やまねこ☆
Posted by やまねこ at 12:27│Comments(2)
│やまねこ修行歴
この記事へのコメント
面白いです(^^)
興味深く読ませていただきました〜
時代が変わっても変わらないのは
やっぱり人とのつながりで
色んなものがうまれていくって事なのでしょうか…
興味深く読ませていただきました〜
時代が変わっても変わらないのは
やっぱり人とのつながりで
色んなものがうまれていくって事なのでしょうか…
Posted by ちょーく at 2011年01月22日 10:07
ちょーくさん。
ちょーくさん。
面白かったですか!?
それは嬉しいです(*^ ^*)
人との繋がり、ほんと、そうですね〜。
人との繋がりはどこで生きて来るかわかりませんし、
それを生かすのも、何も気付かずに通り過ぎるのも自分次第だと思います。
自分がピンときたら、きっと縁があるということですよね☆
というわけで、私、今回ちょーくさんのお教室に参加させていただきました!
もしかしたら、この先、何かおもしろいことができるかも!!?
そんなワクワク感を感じながら・・(*^ ^*)
ちょーくさん。
面白かったですか!?
それは嬉しいです(*^ ^*)
人との繋がり、ほんと、そうですね〜。
人との繋がりはどこで生きて来るかわかりませんし、
それを生かすのも、何も気付かずに通り過ぎるのも自分次第だと思います。
自分がピンときたら、きっと縁があるということですよね☆
というわけで、私、今回ちょーくさんのお教室に参加させていただきました!
もしかしたら、この先、何かおもしろいことができるかも!!?
そんなワクワク感を感じながら・・(*^ ^*)
Posted by やまねこ at 2011年01月22日 23:03