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2011年02月15日

流行予測とおばあさん

今日はBAG作りの現場のお話の続きです。

バッグの新作は、
無いところから全く新しい企画から作るパターンと、
既に出回っている自社の製品、他社の製品を少し変えて作るパターンがあります。

全く新しく作るパターンでは、
流行予測の情報を得たり、デザイナー独自のセンスで素材、部材を選び
凝る物は金具からオリジナルを作ったりすることもあります。
既に存在する材料を使い方をこれまでにない使い方をすることで
全く新しい感覚のものにしたり・・などもあります。

流行予測については、
各社いろんな情報経路から世界の流行を入手したり、
色やデティールについての流行も半年以上前から決まっていて
それについてのセミナーに出る等して情報を取り入れます。

これを元に各社新作を作り、
店頭に並んで行くのですね。

アパレルの世界も同様。
会員制の情報網から、いち早く「パリコレ情報、画像」を入手し、
それに基づき新作を企画。
春夏物でしたら、その前の秋にはほぼ決まっている状態なんですよね。

なので、いわゆる「流行」って
街で作られる前に、既にその要素はおおよそ半年以上前に作られているのですね。
ふしぎふしぎ。

それでは、最初の最初は、どうやって作られるのでしょうね〜。。。

なーんて真面目な話しをしてしまいましたが、
そんな驚きの場面の連続の入社当時、
前にも少し書きましたが、
社会人一年目、私はとんでもない家に入居してしまったのでした。


それまで暮らしていたチンチン電車の世田谷線の駅から徒歩2分ほどの
まともなアパート(その前のまともでないアパート→http://yamaneko.i-ra.jp/e282166.html
がマンションに建て替えということでやむなく退去。
その後の行き先、足立区と隣接する県のS市の一戸建の2F(1Fは工場)。

引越屋さんとともに引越の荷物を運び入れている途中、
どこからともなく現れたおばあさんが近寄って来た。

「あんた、ここに住むのかい?」

「はい。今日からこちらに住むことになりましたやまねこです。
よろしくおねがいします(^ ^)」

「ここはね、コレ・・だよ。」

「ここは」とは私が住むことになる家と車2台分ほどを空いた
6所帯分くらいの古い木造アパートのある1室を指差していた。
そこは私が2Fへ登って行く鉄階段のすぐ横。
誰も住んでいないようで、荷物も何も無く、2間分の全面の窓ガラスから
中の畳の部屋が見えた。

「コレ・・だよ。」といいながら、
おばあさんは自分の首をヒモで絞めるしぐさをした。


  えーーーーーっ・・・・・・!!!!!


「それからね、ここにあるコレはコレした人が漬けた“梅”だよ。」

ここにある“コレ”とは、なぜか私が登る鉄階段の上がり口に置かれた
おおきなブルーのポリバケツ。コレした人=またまた首をくくるしぐさ・・・。

    ご、  ご親切にどうも,,。


「私手伝ってあげるから、コレ、その後ろにうっちゃっちゃいな。」
その後ろ、とは私が住む家の下にある物置と浴室(私が借りる部屋用)
がくっついた“離れ”の後ろの事で、
「そこは大家さんちの墓石がころがってるんだけど、しょうがないよねー」と。

見ると墓石はゴロゴロ。
墓地ではなく、使われていない処分しようとしている墓石のようだった。


      なんて家に越してきてしまったんだろう。。。


不動産屋さんはそんなこと全く言ってなかったけど、
今の私なら荷物運びこんだ後でもクレームをつけるところだが、
当時の私はまだそんな勇気も知恵もなく、
その後2年、更新時まで住むことになったのでした。




とにかく何も考えない。
目に入る畳みの部屋も “ただのタタミの部屋”
そうインプットして、とりあえず無事に2年間経過。

何もなかったけど、ここに居た2年間は
なんとなく“意欲”が減退していたように思う。

しかし、あの町は 夜はムーミン谷のように暗くなり、
不思議なくらい人や子どもを見かけなかった町でしたね。

因に例のおばあさんは、そのアパートの2Fに住む人だったようで、
そのアパートは私が入居後まもなく取り壊されました。


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お仕事にかかわらず、コメント入れて頂けたら嬉しいです。

          やまねこ





  

Posted by やまねこ at 17:15Comments(3)やまねこ修行歴

2011年01月21日

バッグを作る世界

専門学校卒業後に入社したバッグの企画・製造・卸メーカー。




下の刃物が、型紙のボール紙を切る「包丁」です。

ここで過ごした5年間で
デザイナーはデザインを考える事が仕事で、
よいデザインのものがヒットするというようにイメージしていましたが、
実際にこの世界に入ってみて感じた事は、
ものを作って行くには、世間話からデザイン、仕事の話まで、人とのコミュニケーション能力がとても必要で、その会話の中から物が作り出されて行くということを身を以て学びました。

今では知らない人とでも、店員さんでも、道を歩いている人でも
公園で遊んでいる子どもでも、道に寝ている人とでも
誰とでも話をしてみたいと思う程、
じつは人とのコミュニケーションが大好きな私ですが、
新卒の頃の私は、初めて会う人と、いったいなにを話していいのやら・・・
話したいとも思わないし・・できればそんな場面からは逃げたい、
そんなでしたので、社会に出てそのことを知ったときには
「ま、まずい・・・学校は出たものの、親にこれまで2年間、仕送り、学校の費用を出してもらったものの、この私がこの道でやっていくことができるのか・・・」
そんな不安でいっぱいになりましたが、ここで辞めて実家に帰るわけにはいかない、時が経つのを見守ろう・・・そんな頼りない自分でした。

そこで配属された「企画室」は
デザイン画を描いたり素材を決めたりサイズを決めたりをする「デザイン部門」と
「デザイン部門」で作成された“サンプル指示書”を元に型紙を起こし、その形に生地や付属素材を裁断し、ミシンで縫製する「サンプル作成部門」とから構成されていた。






まず最初に驚いた事は

1.バッグはお店で売られている物もみんな手作りだということ。

  ベルトコンベア状に機械で縫製されているものかと思っていたのでした。
       ↓  ↓   ↓  ↓  ↓  ↓
実際は、サンプルに限らず、売り物も全て「手作り」で、
  下町の職人さん夫婦や、東北圏の自社工場で職人さんが
  精魂込めてミシンで塗縫っているのでした。
 
  (うそでしょ!? 世の中、もっと進んでいると思っていた!!!)

2.バッグの耐久性などは、精密にチェックする機械や方法が義務化されているのではなかったということ。

   結構アバウトに、そこらへんにある雑誌やサンプルを詰め込んでみる
   くらいでした。
   私はてっきり目盛付きの何かで力を加えて行く精密な検査が
   あるのかと・・・

   (ええっ・・ダイジョウブナノカ!?こんなに適当なもの?)

3.ほぼ男性で成り立っている業界。

  バッグの型紙を起こすいわゆる“パタンナー”は
  この道ウン十年の60代のロマンスグレーのおじさま。
  
  “包丁(ほうちょう)”と呼ばれるカッターのようなナイフのような包丁と
  物差し、目打ち、ボール紙、ボールペン、
  ほぼそれだけで様々な形のバッグの型紙を
  みごとな手さばきで起こす。

  そして、ミシンでサンプルを製作する人も
  一人女性な以外は皆男性、何年もバッグを作り続けている
  その道のプロの職人。
  
 
○業者さんの「まいど!」の挨拶。

大阪? とっても“商人的”な世界。

   いろんな業者さんが、毎日自分の会社の商品をアピールに来社。
   「まいど!」と言って、数分世間話(業界話し)をして帰って行く。
   お互いライバル社のことは気になる様子。
   
   とにかく、材料屋さんって、毎日顔を出すことが仕事なんだな〜。
   
   
そんな驚きの中、
業務用電動ミシンのダダダッ ダダダッという音を毎日
BGMにしながらの日々が始まった。


※以上は1985年頃のことについて記しています。
 現在も環境はそう変わりないと思いますが、
 ただ、若い男性、女性も多くなって来たように思います。


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☆☆☆お仕事に限らず、お気軽にコメントを入れて下さいね。☆☆☆
        主婦デザイナー ☆やまねこ☆

  

Posted by やまねこ at 12:27Comments(2)やまねこ修行歴

2010年12月11日

主婦デザイナー☆やまねこ☆自己紹介 その4〜入社〜

おはようございます。

ただ今午前5時。
外はまだ夜明け前。数日ぶりの投稿です。

今日のお仕事は、
ある製造会社様の会社案内HPの為の
製品の図面のトレース(元絵をなぞり、きちんとしたラインの図や絵を作る作業)作業をしていました。

こんな時間はラジオかテレビの音でもBGMに欲しいところですが、
今のところ、この5畳程の広さの洋間仕事部屋にはラジオは無し・・

あ、いえ、振り返ってみたらありました!
そうでした。
キッチンで使用していたCDラジカセ(CDは故障中)が電源が
入らないまま書類にまみれていました;;

あーー、本当に荷物&書類整理をしなければ。。。
これが目下の課題です(ーー;)


さてさて、今日の投稿は、
『自己紹介 その3デザイン学校時代〜』
http://yamaneko.i-ra.jp/c72236.html
でお話しました、沼津から上京後、2年デザインの基礎を学んだ
桑沢デザイン研究所(東京都渋谷区)http://www.kds.ac.jp/
卒業後に就職した会社での
主婦デザイナー☆やまねこ☆〜社会人一年目・入社〜 
についての投稿をしたいと思います。

*****************************************

桑沢デザイン研究所を卒業後、
私は台東区内のバッグ製造・卸メーカーへ就職しました。

この会社を選んだ主な理由は

1.バッグが好きな事。

2.通勤が便利な事。

3.給与が他と比べて良かった事。

でしたが、正直なところ、
一人暮らしで自分で生計を立てていかねばならないので、
「衣食住が可能なお給料が頂ける会社」が第一の条件であり、
『初任給13万5千円』のこの会社は、
他のグラフィック系(当時9万円〜だったと思います)に比べて
比較的良かったこともあり、そこに面接に行ったのでした。
(※のちに“東京都の基準給与”を毎年参考に初任給を決めていたことを知る)

都内では珍しい雪の日、
かなりの重量になってしまった
B全サイズ(728mm×1030mm)の作品袋を手に
上野駅からタクシーに乗車。

事前に聞いていたタクシーを降りる場所「吉原交番」の名を告げた。
「そういえば、子どもの頃、“吉原中央駅行き”というバスに
乗った事あったな。」などと思いながら
それまで殆ど来た事のない下町の景色を眺めていた。

運転手さんに告げた『吉原交番』でタクシーを下車すると
そこは思っていたよりも小さな町、というか
どちらかというと住宅街。
・・が!しかししかし、就職後に知る事となるが
そこはかの有名な『吉原遊郭(ソープランド街)』の一角なのでした!!

そんなわけで、後々、
「おねえさん、どこのお店?」
とか値段を聞かれたり・・・(ーー;;)

値段って・・・?

ご推測におまかせします。。。
が、私はそこで働くようなきれいなおねえさんではなかった為、
また、徐々に角ごとに立つ呼び込みの蝶ネクタイのお兄さん、おじさま、とも顔見知りになり、
値段やお店を聞かれることも少なくなってきました。

このような環境で、私の社会人一年目は始まりまったわけです。

ちなみに、住居は
『主婦デザイナー☆やまねこ☆ その2〜上京編〜』
http://yamaneko.i-ra.jp/e282166.html
のフレンドハイツの後、
1年間世田谷区のわりとまともな2DKのアパート(今度はお風呂付き☆)に兄と同居。
その後そこが取り壊しになるということで
デザイン学校卒業と同時に
“家賃4万円以下でお風呂付き”の条件で見つかってしまった
埼玉県草加市内の一戸建ての2F(1階は靴工場)に転居。(再度一人暮らし)

なぜ安いか・・・??
ただギリギリ都内でないから、と思っていましたが、実は実は、、、

そこには訳があったのことも知らず、、、
(これについてはまたの機会がありましたらお話することにします)

そんなこんなで始まった
☆やまねこ☆社会人一年生。
就職先には同じ学校のインダストリアルデザイン科(工業デザイン=立体デザイン)出身の男性先輩が一人。

会社の外観はちょーーっと、悲しいものがあるが、
そこは“バッグ・袋物製造卸”のメーカーとしては
かつては年商全国一位を誇っていた会社で、
社内に企画室を持たない会社が多い中、
企画立案からサンプル作成、裁断、製品の袋詰め、出荷を行っている
バッグ問屋業界では全国的に知られている会社でした。
(製造メーカーなので、一般消費者には名が知られていませんが)

そこで私は『企画室』に配属され、
企画室デザイナーとして、その後5年間勤めることになりました。

企画室:回りはサンプルを作る為の生地の原反や資料の雑誌、サンプルバッグが山のようにあります。





ここでは、社内では
型紙を切るおじさん、サンプルをミシンで作る人数名、経理関係の人、
製品用の生地を裁断する裁断部、
出来上がった商品に芯を詰めるパートのおばさま方多数、そして営業さん、
社外の人では、
取引先の営業マン、企画担当者、社長さん、
生地問屋さん、金具屋さん、抜き形屋さん、などなど、多くの出会いがあり、
その方々との仕事でのやり取りを通して様々なことを学ばせていただききました。

次回の自己紹介は、
バッグの仕事を通して学んだ事についてふれてみたいと思います。

長い間、読んで頂きありがとうございました。

********どうでもいいことを綴った内容で
デザインの話かと思って来て下さった方には申し訳有りません。
書いているうちにエピソード話しも入れたくなってしまい、
思っていたよりも自己紹介が長くなってしまいそうです。

なので、自己紹介とは関係ない内容、
商品コメントなど日記的内も間で入れてしまいますが
よろしくお願いします。******************************************

☆☆☆お仕事に限らず、お気軽にコメントを入れて下さいね。☆☆☆
                   
        主婦デザイナー ☆やまねこ☆





  

Posted by やまねこ at 06:58Comments(0)やまねこ修行歴

2010年12月03日

自己紹介 その3〜デザイン学校時代編〜

おはようございます。

黒い空の中、
久しぶりの雨降りの朝です。

今朝はロゴと
それを入れたパッケージのデザイン案の仕上げ、提出(納品)
を予定しています。

デザイン案をクライアント様にお見せする際は、
どのような形でとは殆どの場合指定はされませんが、
自分としては、時間が許す限り
誰もが一目見てすぐにその完成時の様子が想像出来るよう、
(場合によっては担当者さまが他の人の意見を仰ぎたくなることもありますよね)
そして、その後の製作がスムーズに進むよう
使用色、パターン切り替え時の詳細設定なども
最初に作るように心がけています。

商品化までの時間が少ない!。急いで!
と言われるときほど、
ここはキッチリしておくことがベターだと考えています。
結果、ここをしっかりしておいたほうが、
試作→検討→GO までの時間が短縮できるからですね。

また、ここをしっかりしておくことで、
自分も作業がやりやすいというのもあります。

さてさて、今日はそんなデザイン・版下などの製作についての考えかた、
基礎を一番最初に学んだデザイン専門学校 “桑沢デザイン研究所”
(東京都渋谷区)http://www.kds.ac.jp/についての投稿です。


桑沢デザイン研究所(渋谷区)ではて2年間、
みっちり・どっぷり・ハードに現在の職業の元となる
デザイン仕事の修行をしました。

現在の桑沢ではどのようになっているか分りませんが、
今でもありがたかったと思うのは、
この学校は、1年時には専門分野が
□リビング[ビジュアル・インテリア・インダストリアル(プロダクト)・パッケージ・写真]
□ファッション
の2つに分かれているだけで、2年時に進む時点で
自分の専門分野を選ぶ事ができました。


仕事をしていると、平面デザインの仕事であっても、
立体の考えや作業、写真、空間的見方が必要な場面はよくあることです。
ですので、それらの基礎を一通りは学べたことは
とてもありがたかったです。

学生生活は、課題提出は全提出必須(あたりまえか!)、
欠席が数日あり、いきなり学年が変わるときのクラス替えの名簿に
名前が無かった友人もチラホラ。。。おそろしい、、、
学生は、多くは都内近県在住で自宅から通っている人が殆どの中、
地方出身者はごく僅か。(女子は殊更)
課題は材料費も結構かかり、バイト(公園通りのアイスクリーム店と
世田谷そば屋)と、課題作成、コインランドリー、銭湯。
徹夜、徹夜の毎日でしたが、
それでも、おもしろい経験がたくさん出来、
今に繋がる素晴らしい友人と出会えたこの2年間の
武者修行は、その後もこれからも自分にとって大切な時間でした。

友人達も、夫々自分の道で
個性ある生き方をし、活躍している様子が
今ではネットを通して垣間みることができるので嬉しいです。


桑沢2年時は
ビジュアルデザイン専攻。
選択は「視覚伝達デザイン」、「写真」、「絵本」。でした。

桑沢での課題、学校生活を通して学んだ事は
デザインのセンスとか知識ではなく、

1.「作品を作る心構え」

2.「作品の見せ方」

3.「キツイ作業でも、やり続けることで必ず完成するときはくる。」

ということでしょうか。


1.2.は、卒業時にはまだよく理解できていませんでしたが
その後仕事をしていくうちに
あのとき言ってたことは、こういうことだったんだ。
と理解できるようになり、

3.についてはとにもかくにも、
 あのときの課題作業時が一番状況が大変でしたので
 今はそれを思えば、何でも出来る。という感じです(^ ^)
(それよりもっとハードだったのは、高校の合気道の合宿ですが(^^;;)
「“限界”とは自分で作るものではなく、勝手に限界がくれば気を失うもの。
それまでは自分で限界値を決めるな!」)


卒業後は、台東区内のバッグ製造・卸メーカーへ就職。
以降5年間、バッグデザイナーとして勤務をしていました。


次回の自己紹介は
主婦デザイナー☆やまねこ☆自己紹介「バッグのお仕事編」
を予定しています。


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        主婦デザイナー ☆やまねこ☆
  E-mail : yamanekopc@yahoo.co.jp
  

Posted by やまねこ at 06:40Comments(0)やまねこ修行歴

2010年11月30日

自己紹介 その2 〜上京編〜

高校時代は、クラブの合気道に没頭しすぎて
授業は殆ど無意識状態。(睡眠中ともいう)
それでもなんとか無事卒業。

卒業後、東京の右も左も分らないまま一人上京。

渋谷のアパマン館で“渋谷まで30分圏内”の条件で見つけた
チンチン電車世田谷線の若林駅から徒歩8分のアパート
その名も“フレンドハイツ”。

名前はそこそこ素敵だが、
お風呂なし、トイレ、小さなキッチンあり、6畳という名の
実際は畳が妙に小さくて広さとしては4畳半くらいじゃ・・・(ーー;)
というの小さなアパート。

トイレは小さすぎて、
始めて入ったときには
自分の立ち位置とつかまる場所を確認したくらいだ。

捕まる場所って・・・
分りやすくいうと、畳半畳、正方形に対角線を引いて
その半分が50 cmくらい高くなっていて便器は斜め配置。
(当時はまだ和式のアパートが多かった)
そこに水タンクもあるものだから、
自分がまたいでしゃがむには、
垂直にそーーっと重心を下げて行かないとならないのだ。



来客はめったになかったが、
始めて来た人がトイレに入るときには
こう伝えることが必要だった。

「便器をまたいだら、最初に水タンクの上を持って。
次に、頭の位置を前後左右に動かさないで
そーっと腰を下ろして。それしながらすかさず
手は水タンクの下の銀色のパイプを掴んでね!
途中は上持ったまま片手は下、だからね!」

頭に「??」マークを付けながら入る友人、

トイレのドアを閉めるにも
壁と便器の隙間に上手に立ってドアを閉めなくてはならない。

「ゴンッ!!!」
       (頭を水タンクにぶつける音)

「イッターーーーイ!!!」

 普通にしゃがもうとする勢いって、
    結構な勢いがつくのでかなり痛いのだ。

     次に「キャーーーっ!」

        ガタガタドタンッ
         (落ちる瞬間に水タンクを掴もうとする音、落ちてドアにぶつかる音)

頭をぶつけたからといって安易に立ち上がると段差から落ちる構造。

頭部打撃&段差落下。危うく便器に落ちそうに・・・
そんな訳で、
注意をしてもやはり始めての人は意味がわからないようなので、
最初にいちいちドアを開放して自分でやって見せることが必要になった。
                  マヌケナ姿...(TT)

テレビ無し、電話無し、音の出るものはラジカセのみ。
狭い部屋なのに、なぜか持って来てしまった
高校迄使っていたチール机。
そしてこたつ、カラーボックス。
数枚の食器と食器棚。

これで全部。

ここから始まる東京での生活。

狭いけど何も無いけど、
24時間、自分の考えで過ごせる一人暮らしは、
不自由ながらもとても有意義なものでした。


次回は
〜デザイン学校時代 その1・学校で学んだ事〜
あたりを予定しています。


********どうでもいいことを綴った内容で
デザインの話かと思って来て下さった方には申し訳有りません。
書いているうちにエピソード話しも入れたくなってしまい、
思っていたよりも自己紹介が長くなってしまいそうです。

なので、自己紹介とは関係ない内容、
商品コメントなど日記的内も間で入れてしまいますが
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Posted by やまねこ at 13:19Comments(7)やまねこ修行歴